チクホウフォーカス

2013年〜共同ポケットの活動記録です。

大竹しのぶさんからメッセージ頂きました

大竹しのぶさんのデビュー作でもある1975年東宝制作の「青春の門 筑豊篇」を上映するにあたり、大竹さんからメッセージを頂けないかとずっと思ってきました。
イメージ 1

田中健さんとは昨年の夏の田川市でのイベントよりご縁があったので、今回、初代信介役として再度、お招きすることが叶いましたが、相手役の織江ちゃんの今の声もなんとか織り込めないかと。。。で、思い切って大竹さんの事務所と連絡をとってみました。とはいえ謝礼をお支払いできる予算はもう残ってはいなくて、なんとかご厚意でというダメもとで。もっと早くから計画しておけばよかったものの、開幕ギリギリになってからという失礼さ。
なにしろ初めての企画で何をどう順序だてて進めていけばよいのやら、とにかく思い当たること、出来うる限りのことをまずはやってみようと決めていました。開催日が近くなり、焦りが生まれるなか、他に何かないだろうかまだまだ何かできるのではと考えたあげくに、行き着いた考えでした。
イメージ 2
7月にBSフジ「ヒトカド」にご出演になった大竹しのぶさん。偶然にも「青春の門」を振り返る特集で、私たちにはとてもタイムリーでした!
イメージ 3

緊張しながらメールをすると、すぐにチーフマネージャーさんよりお電話を頂きました。舞台を控えており時間的に厳しいかもしれませんが、出来るだけよい方向でお返事できるよう動いてみますとのお返事をいただき、気持ちのよい対応をしていただきました。この作品に関しては大竹も思い入れがあるので、みなさんに喜んで頂けるようなんとかしたいと思いますとのこと。飛び上がって喜び、次のお返事を楽しみに待ちました。
いよいよその日を明日に控えた夜、その待っていたメールが送られてきました。
直筆ではないメールの文章ですが、私たちの企画に対し忙しい時間をぬって想いを巡らせ言葉を考えてくれた大竹しのぶさんの姿が、声が聞こえてくるようで鳥肌がたちました。
事務所の了解を得て、以下に紹介させていただきます。

今日は青春の門を観に来て下さって本当にありがとうございます。よくインタビューで一番印象に残っているお仕事はと聞かれますが、私はいつも迷わずに「青春の門」と答えます。今の私があるのは青春の門という作品に出逢えたからと言っても過言ではありません。浦山監督に出逢えたこと、素晴らしいスタッフに逢えたこと、そして、田川や飯塚や、たくさんの優しい筑豊の人々に触れ合えたこと、一生忘れません。これを書いている今も、ボタ山やあの川の流れや風の匂いを思い出すことが出来ます。だから、九州弁を話すとなぜか故郷に帰れたような気がします。今日は本当に本当にありがとうございました。大竹しのぶ

初日、開幕と共に「青春の門」の上映を待つ観客の皆さんに向かってサプライズで代読させていただきました。情景が浮かぶ優しく歌うようなメッセージ。読んでいて涙が出そうになりました。
さらに図々しいことに翌日、田中健さんとのトークショーの時に紹介させて頂きたいと、健さんに向けたメッセージもお願いしていました。


「健ちゃん、元気ですか。
まだ高校生で何も分からなかった私に、いつも優しくしてくれて、遊んでくれてありがとう。あれから
40年、お互いにおじさん、おばさんになっちゃったけど、ニコニコして、優しい健ちゃんは今もきっと変わらないんでしょうね。これからもあの時の気持ちに戻れる私達でいたいなと思います。今日はケーナ頑張って下さいね。また同窓会しましょう。大竹しのぶ
イメージ 6

イメージ 4


ちょうど大竹しのぶさんとのシーンの思い出話で盛り上がっている時、今だと思い、健さんへサプライズとして読ませて頂きました。
イメージ 5

メッセージをお聞きになった健さん、「いやあ、嬉しいですね。じーんと来ますねえ」と感慨深げでした。その頃、東京の下町で育ち高校生だった大竹しのぶさんが初めて親元を離れ一ヶ月以上も筑豊に滞在して挑んだ仕事。デビュー作でいきなりのラブシーンの相手役となった田中健さんは「大竹さんはまだ男性と肌を合わせたこともなかったらしく、その後、ぼくを見るとジンマシンが…と怯えていたように思います。ほんとよく頑張ったよなあ。思い出すなあ」と。

田中健さんと大竹しのぶさんは、その後しばらく共演はなくて、今回こうして繋がったのは実に30年ぶりだったそう。別れ際「いやあ、しのぶちゃんからの言葉うれしかったよ。プリントアウトして持っておきたいくらい」と笑顔でおっしゃった田中健さん。思いがけず貴重な機会となり、我ながらグッジョブ!感無量でした。

大竹しのぶさん、マネージャーさん、本当にありがとうございました。
次はぜひ、第二の故郷、筑豊へ遊びにおいでください!