チクホウフォーカス

2013年〜共同ポケットの活動記録です。

次の世代へ

炭鉱による賑わいを知らず閉山後の荒野に育った私たち世代が、故郷への誇りや先代の仕事に対する感謝の気持ちを持つためにも、当時を知る人から話を聞いたり、今も辛うじて残されている、当時の歴史を伝える風景に想いを寄せることは、とても大切なことだと感じます。
そういう意味でも初代田川市長の邸宅で、炭鉱の歴史と深い関係がある築100年のお屋敷の存在を知った時にはとても感動しました。
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旅館から料亭へと、炭鉱労働者の食文化に馴染み深い鯨料理を目玉にして、古いお屋敷を守る女将さんと数年前にご縁ができ、ぜひ何かお手伝いができたらと思っていたところ、2013年夏、築100年のイベントに関わらせて頂くことが叶いました。
映画青春の門のロケ当時、監督やスタッフの宿となったお屋敷、あをぎりに、もう一度、主役の田中健さんに来て頂こうというものです。
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暑い夏の1日でしたが、お座敷を埋め尽くした人、人、人。
光栄なことに田中健さんのトークイベントの進行役をつとめさせて頂きました。
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青春の門とは、私たちの親世代からはよく聞いていましたが、詳しくは知らず、私はそのイベントをきっかけに田川に残る素晴らしい映画文化、地元映画愛好会の熱心な活動や貴重な記録の数々に触れることになったのです。また福岡県出身という田中健さんの気さくなお人柄にも惹かれましたし、何しろ私が3歳の頃に作られたという映画「青春の門」のイメージもがらりと変わりました。
当時の故郷の風景がふんだんに写っていて、歴史を追う形のドキュメンタリータッチな映像にも引きつけられました。

地元の魅力に気づかせてもらった、あをぎりの企画に心底感謝していました。
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その翌年のこと、たまたま私が住む福岡市で映画上映会を企画してはどうかという話がありました。
迷わず私は昨年の夏の体験を振り返り、もう一度福岡の方々に「青春の門」を見て頂きたい、田中健さんにもまたお会いして話を聞きたい、田川映画愛好会の資料も素晴らしかった、今一度都心で地元の文化を
発信できたらと願いました。

さっそく、あをぎりの女将に相談したのです。昨年のイベント終了後、司会の仕事をとても喜んで下さり
こちらも貴重な機会を頂いたとじゅうぶんにお礼の気持ちを伝えているつもりでした。きっと喜んでくださると思っていました。

ところが、返ってきた言葉は予想外のものでした。

「あなた頭をどうかなさったの?」

あのイベントはあをぎりだから意味があり、あをぎりだから出来た事。今更、福岡で何ができますか。
あなたのような人にできるわけがない。田中健さんの連絡先など教えられる訳がない。甘いよ。

大変驚いて返す言葉も見つかりませんでした。何がいけなかったのかさっぱりわからず、何故ですかと食い下がる気持ちにもなれず、ただ、それは失礼しましたと申し上げました。

聞けば、女将さんがこのような発言をされるのはよくあることなんだとか。あんなに素晴らしい企画をし、貴重な歴史的建造物を受け継がれ、おもてなしの前面にいる方の発言とはとても信じたくない出来事でした。


そんなこともあり、これは何としてでも自分たちの力でやるのだと、2014年9月「チクホウフォーカス」の開催にこぎつけました。

田川を離れている福岡市在住の方々がたくさん支えてくださり、田中健さんも喜んで来て下さいました。
きっかけを作って下さったあをぎりには、今も感謝の気持ちでいっぱいですが、なんとなく、それ以来、近づけずにいます。田川映画愛好会もとても協力的で、そんな事情をくみ、あをぎりに貸し出しておられた青春の門の映画看板や資料パネルを自ら引き取りに行って下さいました。
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数日前、地元テレビ番組で、あおぎりの鯨料理をきっかけに田川に残る映画文化を紹介する素晴らしい特集があっていました。

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鯨があり映画があり、歌があり、お祭りがあって、歴史的建造物がある。今あるものをリンクさせていきながら、それぞれが連携をとりながら、次の世代へ向けてよりよい発信ができればと願うばかりです。