チクホウフォーカス

2013年〜共同ポケットの活動記録です。

かわさきパン博と仁瓶利夫さん

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共同ポケットのホームタウンである福岡県田川郡川崎町で観光協会設立と共に始まった「かわさきパン博」。3周年を迎えた一昨年、パン博=パンの博覧会ならば、もっとパンについてその歴史や文化にまで想いを馳せるようなイベントができないものかと考え、辿り着いたのが、パン文化発祥の地・神戸に事務局を置く、一般財団法人藤井幸男記念•教育振興会の存在だった。

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「パン」を突き詰めるなら、ここを訪ねてみたらとアドバイスくださったのは、筑豊の炭鉱を原点とする写真家、本橋成一さんだ。前々からこの財団を守る娘さんとは古い友人であり家族ぐるみで旅行に出かけたりもするのだと話には聞いていたけれど、こんな形でご縁を分けていただけることになるとは。つくづく「炭鉱」の記憶からつながる人の繋がりには計り知れないものがあると感動する。
藤井幸男氏とは、1965年、日本で初めて粉からこだわった本場のフランスパンを製造販売した、老舗ベーカリー•ドンクの創業者。日本のパン文化発展を目指し、フランスを始めヨーロッパ各国の技術者を招聘して積極的に講習会を開くなど、パン職人の技術向上に大きく貢献された方である。本橋さんと古い友人であるという美木陽子女史はこの藤井幸男氏のご長女であり、父の遺志を継いで2011年9月、以下の宣言文を掲げ、日本のパン文化発展のための財団を設立された。


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「美味しいパン」は人の心を幸せにします。つねに「ほんもの」を求め続けた藤井幸男の 高い志を受け継ぎ、当財団は、パン職人の育成と 支援、食文化の発展と向上に力を注ぎ、次世代へのバトン タッチの一助になればと願い設立されました」

左 藤井幸男氏       右 カルヴェル教授
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「パンを愛する人々のための、パンによる町おこし」という主旨にご賛同いただいた財団より、なんと10万円の協賛金にプラスして、パン文化の伝道師として仁瓶利夫さんをご紹介いただいた。
不勉強で恥ずかしながら最初はお名前を伺ってもピンとこなかったのだが、よくよく調べればパン業界では誰もが憧れるカリスマシェフ。国内のみならず世界中あちらこちらの技術講習会やコンテストの審査員などに飛び回っている、まさにパンの神様と言われるような方であった。
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実際にお会いするまで緊張しながらの電話のやりとりが続いた。
パンの歴史を伺うにも専門用語が多くて、なかなか一口にはいかない。付け焼き刃の知識での質問に対し、お前にパンの何がわかるのか!なんて一喝が来るのではとドキドキしたが、実際のところは「私なんかはパンおたくですからねえ、なかなか理解は難しいでしょうけれどもぉ、実はこれこれこういうわけでしてね・・」なんて、関東の男性独特の鼻濁音が響くあの物腰の柔らかさ。
そう、本橋さんとお話するときと同様のリズムであった。
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「まあね、みなさんが喜んでくださるんだったら行きますよ」と初めての地での講演を快諾。
ほぼ父と同世代の1947年、横浜の生まれ。
パン職人を志す以前、初めての就職先は川崎市の機械メーカーだったそうで、最初、
え?かわさき?よく聞いたことある地名だけど、どこのかわさきだ?と、日本地図の北から追って探して行ったそうである。

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左から 財団事務局長藤田さん 財団代表 美木さん  共同ポケット 青木  仁瓶シェフ

当日は、財団の設立者美木陽子さんと事務局長も、会場の雰囲気を味わいたいとわざわざ神戸から新幹線に乗って駆けつけてくださった。不便な田舎町までお運びいただくのはさすがに申し訳なく博多駅からジャンボタクシーを用意させていただいたのだが、、一方の仁瓶さんは、財団の一行とはまったくの別行動で、その前日より福岡入りして、ドンク九州工場に入り浸りだった。

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「パン」の歴史について語る単独講演を引き受けていただいた上、せっかくだから聴いてくれた人にはとにかく本物の味を味わってもらおうと、講演会後に自ら焼いたバゲットの試食もできるようにとご提案くださった仁瓶さん。宣言どおりに、前日から仕込みに入り、パン博当日の朝、工場から焼きたてのバゲットと共にトラックに揺られてやってきてくださったのだ。
遠くから、トラックの助手席で背筋を伸ばしてやってきた、そのお姿をはじめて見たときには涙が出そうになった。
トラックから飛び降りるようにして、初めての挨拶を交わした後は、とにかく、いい状態のパンをみなさんに食べていただきたい、ほんとうに美味しいパンというのは、それはもう歯ごたえや食感が‥と溢れ出す言葉がもう止まらない。
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講演会では、バゲットを手に、パン作りについての想いをよどみなく、熱く語る姿は、まるで刀を手に一途な戦いに挑むサムライのようだったという声も聞かれ、多くの人がその職人魂 に魅せられた。まさに「パン博」の名にふさわしい大変なゲストをお迎えできたと感慨ひとしおであった。妥協を許さないパン作りの裏側で、自然と戯れる少年のような眼差しも併せ持つ仁瓶さん。
 緑深い川崎町の山々や澄んだ川のせせらぎを喜び、地図を見たら、隣の英彦山も行きたくなったと、趣味のサイクリングまで楽しんでいただいた川崎初来訪だった。
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左から共同ポケット山本・川崎町観光協会事務局長・デザイナー林さん・美木さん・藤田さん・仁瓶さん
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その翌年、4回目のパン博2015では、その後に出版され話題となっていた伝説のテキスト本を元に
対談トークを企画した。今度は私も時間をかけて、仁瓶さんのご本を熟読し、私なりに本を要約したスライドを作って対談にのぞむ。よくまとめてくれたと仁瓶さんも喜んでくださった。
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前回同様、試食用のバゲットをお持ちいただいたのだが、今度は私も前日から工場にお邪魔してその様子を拝見した。これが噂のゴッドハンドか。助手の方々も心なしか緊張した面持ちで仁瓶さんからの指示やアドバイスを受けながら作業。パン職人として長年誇りを持って歩んでこられた仁瓶さんのオーラをひしひしと感じた。
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実は、ドンク定番のロングセラー商品である「コーンパン」は、仁瓶さんが静岡店にいらした頃、日本人好みの食事パンとして開発されたものである。昨年のパン博では、仁瓶さんのバゲットと共に、生みの親が焼く伝説のコーンパンも限定数買えるということを目玉とした。
九州ドンクの方々も応援に来てくれたが、ドンクの方々にとってもこれはちょっと感動ものであるということだった。
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さて、昨年の企画も大変意義深いものだったが、2016年、5回目のパン博がやってくる。
仁瓶さんもさすがに2年連続でお世話になったから、今年はもうないだろうと思われていたらしいが、せっかくのご縁をここで終わらせるわけにはいかない、事務局よりぜひとも今年もという声があり、いろいろと考えプレ企画を思いついた。
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今まではパン博当日、他のパン屋さんによるマーケットが続いている傍らでのイベントだったので、買い物に夢中の人々や仁瓶さんにお会いしたいが店を抜けられないパン屋さんもとても多くて残念だったとの声もあった。
そこで今年は、5回目の川崎町でのパン博を都心からも大いに宣伝するため、パン屋さんの定休日とすることが多い前の週の月曜日、福岡市にて。
お昼は、職人向けの技術講習会とし、その時に焼いたパンを持ち寄り、夕方は一般の方も交え、レストランを貸し切っての交流会とすることに。

貸切を快く承諾してくれたのは、オーナーが田川出身で数年前より「オリーブオイル」でパン博にも出店してくれている博多のスペインバルである。
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2015年の「かわさきパン博」の様子。

これはもう仁瓶さんとのご縁、3年目の集大成として大変素晴らしい1日になること間違いなしだ。4月18日月曜日。興味のある方はこの貴重な機会をどうぞお見逃しなく。
そして4月24日日曜日、5回目のかわさきパン博にどうぞご期待ください。

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