チクホウフォーカス

2013年〜共同ポケットの活動記録です。

田中健さん渾身のケーナLIVEin アクロス福岡シンフォニーホール

9月14日木曜19時から
共同ポケットでもチケットお預かりしてます。懐かしの映画音楽が健さんの優しいケーナとピアノセッションで。
アクロスシンフォニーホールはオーケストラ公演向きの最高の音響。終わりゆく夏、秋の始まりを優しい音楽に浸りましょう。

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以下の写真は
2014年福岡市中央市民センターで開催したチクホウフォーカスのステージにて

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川崎町のプロモーションビデオとターミナル会館

昨年から制作中の川崎町のプロモーションビデオ。先日、最後の追加撮影を終えました。町の特産である果樹の実りを加えることや、町の歴史として外せない石炭産業のことをきちんと伝えることなど新たなミッションが加わり練りにねった感じでここまで。

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なんで川崎町のPRビデオなのに、田川市で撮影かといいますと、それはまた、ビデオを見ていただけたらわかります。

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思い出のターミナル会館はいまや完全に廃墟ですが、2017年8月24日、辛うじてまだそこにありました。
まだ買い手はないそうですが、いずれは取り壊され、目の前から消えてなくなる景色です。せめて映像として記録しておきたく、撮影をお願いしました。
共同ポケットがアドバイザーとして関わらせていただいた以上、大変ウルサイご意見番に徹しました。
福岡から来られ、初めてそれを見たカメラマンもいやーすごいっすねえ、かっこいい!と言いながら撮って下さいました。

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自然豊かな美しい川崎町の風景や優しい人たちもたくさん撮影していただき、来月中に、ついに完成!!の予定です。

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ビデオが完成したらこのブログでもご紹介させていただきます。

ライバルは1964・福岡県田川市発!新商品開発プロジェクト始動

共同ポケットを応援してくださっている皆さまへ。久しぶりのブログ投稿となります。
チクホウフォーカス田川集会から丸2年。ついに共同ポケット企画の新しいプロジェクトが動き出します。
まずはこちらの画像をご覧ください!

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東京五輪2020まであと3年です。
ACジャパンのコマーシャルで、星野源さんが歌う、ライバルは1964年のキャッチが印象的でしたが、そう、かつて日本の近代化を支えた炭都・福岡県田川市こそ本当の意味でライバルは1964。あの頃に負けるな、なのであります。
ACジャパンのコマーシャルはこちら⬇
https://youtu.be/F5J8Sj8HgSo

東京オリンピックを意識して、このたび、田川市からご当地パワー満載の新商品を世に送り出したいと考えています。

プロジェクトの内容、経緯はこちらをご覧ください。
https://camp-fire.jp/projects/view/40280?token=bdmck152
9月8日よりプロジェクト公開となります。
どうかどうかご注目&ご期待ください。
今回のプロジェクトは、平成29年度・田川市産業創出育成支援事業に採用されました。
がんばります。

青春は凄春に?2017年始動

2017年がスタートしました。2014年、2015年と、大勢の方々にご協力を仰ぎながら「チクホウフォーカス」という打ち上げ花火をあげたのちの昨年は、何か全てを出し尽くしたような抜け殻のような心持ちのまま、あっという間にやり過ごしてしまいました。
未来に語り継ぎたい風景、記憶の中だけに留めておくにはあまりにも惜しい、筑豊最後の映画館跡「ターミナル会館」は、9月末をもってバスセンターとしての役目を終えることになり、10月1日には鉄のフェンスが張り巡らされ、ついに立ち入り禁止となってしまいました。
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炭鉱の歴史がもたらした貴重な文化遺産に光を当てようというプロジェクト「チクホウフォーカス」として、わずかな希望を託し「ターミナル会館」をシンボルとして「青春の門」の上映イベントなどを行いました。ターミナル会館がなければ田川に永住することもなかった手書きの映画看板絵師、篠原光雄さんの素晴らしい仕事や、映画愛好会の地道な資料保存を広く紹介し、ターミナル会館に思いを寄せる人々の声を集め、ターミナル会館をモチーフにした記念グッズを作ったりしましたが、結果的に、私たちが思う価値が、老朽化、耐震性、安全性、将来的な道路計画の問題をクリアするまでには至りませんでした。
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私たちの活動を応援してくださったオーナーのお考えも何度も伺ってきましたが、人々の思い出のためだけにお金が使われることは非現実的であるという結論が覆ることはなく、しかしながら最後に、多くの人々が、「ターミナル会館」の歴史とその思い出をめぐって交流してくださったこと、そんな機会を作ってくださったことには、感謝しているという有難いお言葉をいただきました。
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田川市と共催で実現した誇らしい「チクホウフォーカス」でした。「たがわ魅力向上課」という新しい部署ができ、この春よりフィルムコミッション事業も立ち上がるという田川市が、一方でバスセンターを失い、ターミナル会館がある風景を無くしてしまうことがどういうことなのか。考えれば考えるほど、わからなくなってきます。お金のない私たちにはこれ以上のことを言う資格はないでしょう。


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昔はよかったという話を嫌というほど聞かされてきた私たちだからこそ、思い出が産業になる可能性を捨てきれずにいます。全てを切り捨てて横文字を並べ新しいことを始めるのはいかにも面白そうですが、そこにあるものをうまく生かして今に繋げることこそ、私たちのふるさとに相応しいと思うのです。
荒地に育った私たちには煌びやかな青春なんて最初からなかった。青春の門の田川と言われてもちっともピンとこなかったのです。だからこそ、ターミナル会館がそこに存在していること自体に大いに意味があった。
奇しくもターミナル会館閉鎖のニュースと同時に「過ぎ去った青春を凄春に」と、あの五木寛之先生の声が聞こえてきて、鳥肌が立ちました。

五木先生、すっかり低くなった香春岳をもう一度、見に来てくださいませんか?

青春の門 筑豊編」が最初に映画化された1975年、全国に先駆けて先行上映されたターミナル会館の姿を辛うじてまだ見ることができます。そう、今ならまだ間に合うかもしれません。






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ターミナル会館の想い出を語ろう

【ありがとう!ターミナル会館に寄せる想い出大募集】

お盆の帰省で久しぶりにここに降り立った方も多いのではないでしょうか。

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共同ポケットでは、2014年よりチクホウフォーカスとして、炭鉱の歴史と共に栄えた映画文化にスポットを当てて活動してきました。

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シンボルとして掲げていた唯一現存の映画館跡(昭和34年建設、昭和の終わりまで営業)ターミナル会館が来月末でいよいよ、バスセンターとしての機能を失い完全閉鎖されることが決定しています。

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昨年のチクホウフォーカス田川集会をPRするため、ターミナル会館専属の映画看板絵師であった篠原光雄さんの工房より当時使用していたポスター看板をお借りし、当時の様子を再現したり、その歴史を紹介するパネル展示やターミナル会館への想い出のコメントを集めた掲示板を作成しました。
https://www.facebook.com/chikuhoufocus/posts/1164979220184929

現在も、ポスター看板はひっそりと立っています。

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とにかく寂しい限りで、閉鎖まで何もできそうにありませんが、引き続き想い出のコメントを集め、なんらかのカタチに残せたらと思っております。

終わりゆくターミナル会館に出来る限りのターミナルケアを!

余命わずか?ターミナル会館によせて

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失いたくない風景。かつて筑豊の映画文化を代表する建物であった田川市のターミナル会館。
映画館やレストランとしては昭和の終わりに役目を終えたが、今もそのままの姿で、田川と都心を結ぶバスセンターとして、頑張ってくれている。

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なんとかその歴史的価値を、存在意義を伝えたくて、普段あまりにも当たり前にある風景がなくなる寂しさを意識して欲しくて、2014年よりいろんな取り組みをさせてもらい、昨年秋にはこんなグッズも作ることができた。

Light my fire
心に火を

しかしながら、そんなことしかできなくて、共感してくれる声を集め発信することがやっと。

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なんとか田川市を巻き込んだ保存活動ができないかと今年の初めに、市長に直談判に行ったり、西鉄が募集する、町づくりプランのコンペに応募してみたり、オーナーと密に交流をさせて頂いたり、ターミナル会館の専属映画看板絵師だった篠原さんや田川映画愛好会の重藤さんと夢を語り合ったり、いろいろもがいてはみたけれど、結局は今朝、新聞にこんな記事が出た。

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古いし危ないし、西鉄が1日も早く出たがっているとは聞いていたけれど、オーナーとも長い付き合い、なんとか良い方向にいけばと密かに願っていたが、オーナーの最終合意なしに、西鉄が発表したとのこと。
9月とはあまりに早い。

西鉄がいなくなればすぐに廃墟になり、取り壊しが始まるだろう。

西鉄のコンセプト
「町に夢を描こう」
虚しい気持ち。

仕方ないとは思う。
どうしようもないこともある。

やはり世の中はお金。お金がないとどうにもならない。

かわさきパン博と仁瓶利夫さん

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共同ポケットのホームタウンである福岡県田川郡川崎町で観光協会設立と共に始まった「かわさきパン博」。3周年を迎えた一昨年、パン博=パンの博覧会ならば、もっとパンについてその歴史や文化にまで想いを馳せるようなイベントができないものかと考え、辿り着いたのが、パン文化発祥の地・神戸に事務局を置く、一般財団法人藤井幸男記念•教育振興会の存在だった。

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「パン」を突き詰めるなら、ここを訪ねてみたらとアドバイスくださったのは、筑豊の炭鉱を原点とする写真家、本橋成一さんだ。前々からこの財団を守る娘さんとは古い友人であり家族ぐるみで旅行に出かけたりもするのだと話には聞いていたけれど、こんな形でご縁を分けていただけることになるとは。つくづく「炭鉱」の記憶からつながる人の繋がりには計り知れないものがあると感動する。
藤井幸男氏とは、1965年、日本で初めて粉からこだわった本場のフランスパンを製造販売した、老舗ベーカリー•ドンクの創業者。日本のパン文化発展を目指し、フランスを始めヨーロッパ各国の技術者を招聘して積極的に講習会を開くなど、パン職人の技術向上に大きく貢献された方である。本橋さんと古い友人であるという美木陽子女史はこの藤井幸男氏のご長女であり、父の遺志を継いで2011年9月、以下の宣言文を掲げ、日本のパン文化発展のための財団を設立された。


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「美味しいパン」は人の心を幸せにします。つねに「ほんもの」を求め続けた藤井幸男の 高い志を受け継ぎ、当財団は、パン職人の育成と 支援、食文化の発展と向上に力を注ぎ、次世代へのバトン タッチの一助になればと願い設立されました」

左 藤井幸男氏       右 カルヴェル教授
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「パンを愛する人々のための、パンによる町おこし」という主旨にご賛同いただいた財団より、なんと10万円の協賛金にプラスして、パン文化の伝道師として仁瓶利夫さんをご紹介いただいた。
不勉強で恥ずかしながら最初はお名前を伺ってもピンとこなかったのだが、よくよく調べればパン業界では誰もが憧れるカリスマシェフ。国内のみならず世界中あちらこちらの技術講習会やコンテストの審査員などに飛び回っている、まさにパンの神様と言われるような方であった。
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実際にお会いするまで緊張しながらの電話のやりとりが続いた。
パンの歴史を伺うにも専門用語が多くて、なかなか一口にはいかない。付け焼き刃の知識での質問に対し、お前にパンの何がわかるのか!なんて一喝が来るのではとドキドキしたが、実際のところは「私なんかはパンおたくですからねえ、なかなか理解は難しいでしょうけれどもぉ、実はこれこれこういうわけでしてね・・」なんて、関東の男性独特の鼻濁音が響くあの物腰の柔らかさ。
そう、本橋さんとお話するときと同様のリズムであった。
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「まあね、みなさんが喜んでくださるんだったら行きますよ」と初めての地での講演を快諾。
ほぼ父と同世代の1947年、横浜の生まれ。
パン職人を志す以前、初めての就職先は川崎市の機械メーカーだったそうで、最初、
え?かわさき?よく聞いたことある地名だけど、どこのかわさきだ?と、日本地図の北から追って探して行ったそうである。

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左から 財団事務局長藤田さん 財団代表 美木さん  共同ポケット 青木  仁瓶シェフ

当日は、財団の設立者美木陽子さんと事務局長も、会場の雰囲気を味わいたいとわざわざ神戸から新幹線に乗って駆けつけてくださった。不便な田舎町までお運びいただくのはさすがに申し訳なく博多駅からジャンボタクシーを用意させていただいたのだが、、一方の仁瓶さんは、財団の一行とはまったくの別行動で、その前日より福岡入りして、ドンク九州工場に入り浸りだった。

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「パン」の歴史について語る単独講演を引き受けていただいた上、せっかくだから聴いてくれた人にはとにかく本物の味を味わってもらおうと、講演会後に自ら焼いたバゲットの試食もできるようにとご提案くださった仁瓶さん。宣言どおりに、前日から仕込みに入り、パン博当日の朝、工場から焼きたてのバゲットと共にトラックに揺られてやってきてくださったのだ。
遠くから、トラックの助手席で背筋を伸ばしてやってきた、そのお姿をはじめて見たときには涙が出そうになった。
トラックから飛び降りるようにして、初めての挨拶を交わした後は、とにかく、いい状態のパンをみなさんに食べていただきたい、ほんとうに美味しいパンというのは、それはもう歯ごたえや食感が‥と溢れ出す言葉がもう止まらない。
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講演会では、バゲットを手に、パン作りについての想いをよどみなく、熱く語る姿は、まるで刀を手に一途な戦いに挑むサムライのようだったという声も聞かれ、多くの人がその職人魂 に魅せられた。まさに「パン博」の名にふさわしい大変なゲストをお迎えできたと感慨ひとしおであった。妥協を許さないパン作りの裏側で、自然と戯れる少年のような眼差しも併せ持つ仁瓶さん。
 緑深い川崎町の山々や澄んだ川のせせらぎを喜び、地図を見たら、隣の英彦山も行きたくなったと、趣味のサイクリングまで楽しんでいただいた川崎初来訪だった。
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左から共同ポケット山本・川崎町観光協会事務局長・デザイナー林さん・美木さん・藤田さん・仁瓶さん
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その翌年、4回目のパン博2015では、その後に出版され話題となっていた伝説のテキスト本を元に
対談トークを企画した。今度は私も時間をかけて、仁瓶さんのご本を熟読し、私なりに本を要約したスライドを作って対談にのぞむ。よくまとめてくれたと仁瓶さんも喜んでくださった。
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前回同様、試食用のバゲットをお持ちいただいたのだが、今度は私も前日から工場にお邪魔してその様子を拝見した。これが噂のゴッドハンドか。助手の方々も心なしか緊張した面持ちで仁瓶さんからの指示やアドバイスを受けながら作業。パン職人として長年誇りを持って歩んでこられた仁瓶さんのオーラをひしひしと感じた。
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実は、ドンク定番のロングセラー商品である「コーンパン」は、仁瓶さんが静岡店にいらした頃、日本人好みの食事パンとして開発されたものである。昨年のパン博では、仁瓶さんのバゲットと共に、生みの親が焼く伝説のコーンパンも限定数買えるということを目玉とした。
九州ドンクの方々も応援に来てくれたが、ドンクの方々にとってもこれはちょっと感動ものであるということだった。
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さて、昨年の企画も大変意義深いものだったが、2016年、5回目のパン博がやってくる。
仁瓶さんもさすがに2年連続でお世話になったから、今年はもうないだろうと思われていたらしいが、せっかくのご縁をここで終わらせるわけにはいかない、事務局よりぜひとも今年もという声があり、いろいろと考えプレ企画を思いついた。
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今まではパン博当日、他のパン屋さんによるマーケットが続いている傍らでのイベントだったので、買い物に夢中の人々や仁瓶さんにお会いしたいが店を抜けられないパン屋さんもとても多くて残念だったとの声もあった。
そこで今年は、5回目の川崎町でのパン博を都心からも大いに宣伝するため、パン屋さんの定休日とすることが多い前の週の月曜日、福岡市にて。
お昼は、職人向けの技術講習会とし、その時に焼いたパンを持ち寄り、夕方は一般の方も交え、レストランを貸し切っての交流会とすることに。

貸切を快く承諾してくれたのは、オーナーが田川出身で数年前より「オリーブオイル」でパン博にも出店してくれている博多のスペインバルである。
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2015年の「かわさきパン博」の様子。

これはもう仁瓶さんとのご縁、3年目の集大成として大変素晴らしい1日になること間違いなしだ。4月18日月曜日。興味のある方はこの貴重な機会をどうぞお見逃しなく。
そして4月24日日曜日、5回目のかわさきパン博にどうぞご期待ください。

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